代田の地名由来、釣船神社と釣船清次

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下北沢から一旦南下し西に進み世田谷代田、北上し代田橋、方南町まで。
経由した寺社は以下の通り。

森巌寺
北沢八幡宮
代田三峯神社
円乗院(戦災で焼けたコウヤマキ)
代田八幡神社
御嶽神社
羽根木神社
大原稲荷神社
釣船神社(釣船清次の神社? 一般参拝できず)
谷中稲荷神社

全体として、とても良い一帯だった。
下北沢駅はすっかり変わってしまって、昔デートした思い出とかが蘇ってキューンとなった。若者の町すぎてつまんないかな?と思ったら、意外と絵的に魅力的だった。吉祥寺なんかより断然好感が持てる。
代田橋も素晴らしい。京王線沿線に住んでいたときにも散歩したけれど、結構な好立地にも関わらず駅前の細い路地が商店街になっていたり、古いおもちゃ屋さんが残っていたり、ごちゃごちゃしている。まるで再開発されていない。

代田というのは面白い地名だけれど、昔このあたりには大きな窪地があっり、それが巨人「ダイダラボッチ」の歩いた足跡だとされたのが由来、という説があるらしい。ちょっとこじつけ臭くてほんまかいなと思ってしまう。しかし「代わりの田んぼ」と字義通りの由来があったら、それも自然発生的な感じがなくて嘘くさい。最初は漢字なんかなかっただろうし、まだダイダラボッチの方がもっともらしいか。
また代田には歌人で精神科医の斎藤茂吉が住んでいた。斎藤茂吉と言えば北杜夫のお父さん。たまたま最近北杜夫の『楡家の人びと』を読んでいたのだけど、楡病院の二代目院長で、経営に疎く研究バカの楡徹吉は斎藤茂吉がモデル。ここがあの徹吉さんが住んでいた土地なのか、と思うと感慨深いけれど、あくまでモデルであって徹吉は実在人物ではないのだった。

釣船神社は地図には載っていたけれど一般参拝のできない神社だった。江戸時代の民間説話「釣船清次」に関連する神社らしく、以下のような逸話がある。
清次は釣船の船頭で、雇い手がいない時は自分で船を出し釣りをしていた。ある時大男が「キスをくれないか」とたずねたので、一匹分けると「おれは厄神だ。おまえは正直者だから、おまえや親類の家が『釣船清次』と名前を書いて出しておけば、その家には行かないようにしよう」と言われたという。清次は字が書けなかったが、手本の通りに名を書いてお札とすると、疫病などがたちまち治ったが、礼は受け取らなかった。そのうち依頼者が増え本業に差し支えるようになり、札も書かなくなったという。風説によれば、この疫神と名乗った者は大泥棒で、魚のごとく水中を潜り、また鳥のごとく屋根などを飛び歩いたが、寛政3年(1791年)に召し捕られたという。
この物語の面白いところは、最後に疫神の正体が(風説とはいえ)明かされているところだ。にも関わらず、物語の不思議な感じは変わらない。本当に疫神だったから奇跡が起こるのではなく、別に全然普通の泥棒でも奇跡が起きる。むしろ「あれは何だったのか」というフワッとした不気味感が強調される。

例によって写真は寺社にはあまり関係ない。


森巌寺


円乗院のコウヤマキ。


代田八幡神社前。


大原稲荷神社

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