夕張梅ヶ枝通りの廃スナック、石切夕張神社と大法寺、ファミリースクールふれあいのつづき。
夕張を更にもう少し北に行くと、北炭夕張炭鉱の跡地を利用した「石炭の歴史村」というテーマパークがある。ここは今でも現役施設なのだけれど、2007年に夕張市が事実上財政破綻した際に複雑な経過を辿った。
石炭の歴史村は元々夕張市の第3セクター「石炭の歴史村観光」の経営だったため、親亀コケたらで一緒に破綻。当初は閉鎖が見込まれていたが、継続を望む声が強く、夕張市石炭博物館などの一部施設は経営元を変えて存続することになった。2018年4月にリニューアルオープンしたばかりで、立派な現役施設である。
一方で石炭の歴史村の奥手にあったアドベンチャーファミリーという遊園地はそのまま閉鎖となった。
遊具等はほぼ撤去されたのだけれど、売店・レストランなどの建物、ウォータースライダーなどのプール施設はそのまま残っている。また蒸気機関車が保存・展示されていたSL館跡も現存する。
アドベンチャーファミリーのあった敷地は谷あいに位置し、ちょうどその南側上方に橋があるため、橋上から全体を俯瞰する形で確認することができる。
以上3点、アドベンチャーファミリー(石炭の歴史村)。
ここから夕張市街に戻る。
その隣も廃屋になっている。
反対隣には夕張市本町5丁目のベンツ。
ベンツのある場所はピロティの駐車場部分で、駐車場は現役使用されているが、上の建物は使用されている形跡が見られない。
夕張は財政破綻の件もあり「寂れている」というイメージが強かったのだけれど、実際訪れてみると悲惨な雰囲気ではなかった。
いや、確かに廃屋や閉業した店舗などは散見されるし、駅前のアディーレ会館ゆうばり(旧・夕張市民会館)という大型施設が丸ごと潰れているのだけれど、そんなものは夕張に限った話ではないし、土地が広々しているせいか陰鬱な感じがない。
正直、足尾銅山の最奥部を訪ねた時の方が余程最果て感があった。
歴史が浅いためなのか、因習の重みみたいな田舎の怖さが感じれないのだ。
まあ、炭鉱ができるまで夕張は元々原生林だったわけで、昔の賑わいを維持しろというのも無理な話だ。元が荒野なのだから町があるだけ儲けものだ。
住んだら苦労もあるのかもしれないが、北海道は色々と清々しい。大好きになってしまった。
南下しながら、夕張小学校などに寄り道していく。
旧北炭化成工業所の大煙突。閉業後はゆうばり温泉ユーパロの湯のシンボルとなっていたが、そのユーパロの湯も潰れていた。
富野じん芥焼却場跡。解体されて最終処分場になっていた。
以上4点、夕張自動車教習所。
炭鉱住宅跡があちこちに見られるが、基本的に今も居住者がおられる。
清水沢まで南下したところから国道452号線でシューパロ湖の方角に東進する。
他に健康会館、北炭清水沢火力発電所、北炭清水沢炭鉱繰込所、北炭清水沢炭鉱事務所、遠幌保育園などを見学。
そしてシューパロ湖の手前で、夕張で一番見てみたかったゴーストタウンを見学した。
以上7点、南部青葉町。
1984年(昭和59年)の夕張保険金殺人事件の舞台となった日高商事という信販会社があったことで知られるが、町まるごとほとんど廃屋で(居住者もおられる)、積雪のためか物理的に激しく損壊している。すでに建物の形をとどめていない、ぺしゃんこになった廃屋も見られた。
しかし信販会社などの経営が成り立ったということは、元々は相当な人口スケールがあったということだ。
別のブログで往時と現在の航空写真を並べたことがある(南大夕張地区の変貌)が、本当に町がまるごと一個なくなっている。現在の青葉町は広大な鉱山住宅街の端に位置した商店街的な部分なのだ。
ほんの四十年ほどで荒野に戻ってしまったことになる。
ここから再び清水沢に戻る。
以上2点、清水沢清陵町の炭鉱住宅街。
以上3点、北炭夕張新炭鉱。
最初場所がわからず、近所のお年寄りに尋ねたけれど「知らない」とのことだった。知らないわけはないのだけれど、身近すぎて遠方はるばる見に来る人間の気が知れなかったのかもしれない。