浜田山の地名由来、二種類の御嶽神社、二種類の稲荷

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

浜田山駅から南東に移動、吉守稲荷神社招福不動を経由し下高井戸浜田山八幡神社へ。
そこから北東に移動しつつ西永福駅を通り理性寺大宮八幡宮へ。
ここから永福町駅へと南東に進みその南の永福御嶽神社永福稲荷神社
暑かったので比較的短い散歩。

エリア全体としては、まあこざっぱりとした上品なエリアだけれど、港区みたいなツンツンした感じではなく、ぽわーんとしたプチブル向けの平和な土地。昔はこの辺に住みたいと思っていたこともあった。実際、神田川も流れていて住みやすいと思う。

浜田山の地名由来は、一帯が江戸・内藤新宿(現在の新宿区新宿)の商人・浜田屋の所有地であったこと。

下高井戸浜田山八幡神社はまあまあ有名な地域の中心的神社で、境内社も多いのだけれど、人気はなくヤブ蚊が多かった。

大宮八幡宮は明治神宮、靖国神社に次ぐ都内三番目の規模を持つ大神社。流石に見どころが多く小さな町のようだった。

永福御嶽神社は永福稲荷神社の境外末社の小祠。
御嶽神社には二種類あり、一つは「みたけじんじゃ」と読み、奈良県の吉野にある御嶽神社を総本社とする蔵王権現を祀った神社。もう一つは「おんたけじんじゃ」と読み、長野県の木曽御嶽信仰に基づいた神社。永福御嶽神社は「おんたけじんじゃ」の方らしい。

ちなみにお稲荷さんにも別の意味で二種類あり、一つは稲荷神(宇迦之御魂命)を御祭神とし伏見稲荷大社を総本社とする神社、もう一つは荼枳尼天(だきにてん)を祀る豊川稲荷系で、こちらはお寺。元は死肉を漁るジャッカルが人間の肉を食べる女神・荼枳尼天と結びついたらしいが、中国にジャッカルがいなかったことから狐に入れ替わり、そのまま日本に伝わったらしい。神仏習合の時代には両者あまり区別もされていなかっただろう。同じものが時間差で伝わったというより、もともと狐信仰みたいなものはあり、それが後から来た狐信仰と相互に影響しあったのではないか。というか、稲荷神だって狐ではなく、あくまで狐は神の使いなのだけれど、庶民は一緒くたにしていただろう。

永福稲荷神社はヤブ蚊と鳩がやたら多く、鳩のフンが服についてひどい目にあった。

あまり写真はない。例によって寺社にはほぼ関係ない。

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする