桐生、薮塚から東武線沿いに太田に移動。
桐生は織物で比較的駅前が残り、藪塚は石と養蚕の町であったが、現在の太田はスバルの企業城下町であり、北関東一の工業都市とも言われる。
地図を見ると一目瞭然だが、太田駅北東に巨大なスバルの工場があり、その辺に停めてある自動車も異様にスバル率が高い(トヨタに乗っていると意地悪されたりするのだろうか)。
1970年代の航空写真でもスバル工場があり、駅北側は既に住宅が密集し、山際まで続いている。対する南側は田畑が点在し、町の中心が太田駅北側であったことがわかる。
実際、散策してみると駅の北側には古い建物が多く、昭和時代の店舗やスナック街なども北側。そうした古い店舗を転用したらしいオシャレな店もなくはないが、かなり歯抜け率は高い。
目立つのが外国人の姿。それも南アジア系が多い。
駅前のインドカレー店で食事ついでに伺ってみたところ、店主はバングラデシュ出身とのこと。おそらくバングラデシュ系の労働者が多く働き、その関係で駅前にも南アジアの香り強い店が目立つのだろう。駅北口西側にはマスジド(モスク)もある。
しかし現在の太田駅北口における最大の目玉は、2017年にオープンしたばかりの太田市美術館・図書館である。
平田晃久設計による超オシャレ建築で、併設されたオープンカフェの雰囲気・品揃えなど、表参道あたりにあってもおかしくない。スペースの使い方が贅沢な分、東京のちょっと小洒落た文化的空間にいるより遥かに心地よい。ラテアートもとても可愛かった。太田市の文化系女子の間ではここのカフェで働くのが最大のステータスではないかと思った。
スバルの巨大工場と錆ばかり目立つ町、手書き文字の踊るモスクに対し、白く輝く文化空間。この対比が物凄い。
アッタイイブ・サーレフの『北へ遷りゆく時』では、ロンドン留学から帰ったインテリのスーダン人が、文字の読める人間すら限られた故郷の村で余生を過ごす。彼の死後その部屋を改めると、壁際にはぎっしりと本を詰め込まれた本棚が並び、まるでそこだけがロンドンのようであったという。
太田市美術館・図書館にはそんな唐突さがある。と言ったら失礼だろうか。
太田駅南側に向かうと更に驚きの空間を目にすることになるのだが、とりあえず北側から始めよう。
「太田ムサッラー」とある。ムサッラーとはمصلى、礼拝所のこと。
モスクというのは英語で、該当するアラビア語としてはジャーミゥ(ガーミゥ)جامع、マスジド(マスギド)مسجد、ザーウィヤ(ザウィヤ)زاويةなどがある。
イメージ的に、ジャーミゥは大きなモスク(東京ジャーミイのような)、マスジドは中くらい、ムサッラーやザーウィヤというとかなり小さな礼拝所を示す。空港の礼拝室などもムサッラーと言う。
ジャーミゥとは「集う場所」、マスジドとは「サジダ(跪拝)する場所」、ムサッラーとは「サラート(礼拝)する場所」、ザーウィヤとは「角(街角)、隅」が原義である。
隣はインドカレー店である(インド料理をうたっているが、経営者はおそらくパキスタン人かバングラデシュ人だろう)。
「二丁目会館」の文字がわずかに読み取れる「タージ・マハル」という、これもインド料理店。
光り輝く北関東の星、ドンキホーテ。南口出てすぐにある。
フリー素材というよりは単に画像検索で見つけた画像をそのまま引き伸ばした感満載の看板。太田駅北口出てすぐのインドカレー店で、ここで食事した。
店主のバングラデシュ人はあまり日本語が通じず、定型的なやりとりで最低限の情報しか取れなかった。「オイシイ?」と何度も聞いてくるのが可愛かった。
まさ竹。
以上2点、旧・太田東本町郵便局。太田駅北口近く、裏はスバルの工場である。
この辺りまでが太田駅北口の風景である。
さんざん持ち上げた太田市美術館・図書館の写真が一枚もないことに気づいたが、こうした風景の中に突然代官山のツタヤがあると思って頂ければ大体合っている。
南口からバスで二駅ほど南に移動して更に歩く。
北側との違いが何か、感じてみて欲しい。
田舎カレー。
これを見るためにわざわざバスに乗った。
どうだろうか。北側に対して風俗色というか、夜のお店やパチンコ店などが多い。
帰りは徒歩で駅に戻ったのだが、更に驚きの光景を目にした。
おわかりになるだろうか。
とても広い歩道を備えた、メインストリートと言っても良い大通りの両側が、ほぼキャバクラや風俗など、夜のお店で埋め尽くされている。
そっち系以外では銀行と、あとは保険会社がやたらにある。やはり自動車保険の関係だろうか。
名古屋の百メートル道路とは言わないまでも、非常に綺麗に整備された立派な道の両側が銀行、保険屋、キャバクラ、風俗。相当異様である。
再開発の壮大な失敗なのだろうか。ススキノだってここまであからさまではないだろう。
しかしスバル城下町ということでは需要にマッチしているのかもしれない。
全国から集まった労働者たちが、昼間は北の工場で汗を流し、夜は南のお店で疲れを癒やす。
入植地の合理的殺伐さに似たものがあった。
太田の女子は文化系を極めて太田市美術館・図書館のカフェで働くか、南のお店で働くしかないのかもしれない。
北関東の風は冷たい。