上神明天祖神社と真鍋勝、平蔵地蔵、田中道場接骨所

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東急大井町線荏原町駅から東進し大井町駅、青物横丁駅まで。経由した寺社は以下の通り。

法蓮寺
旗岡八幡神社
荏原町庚申塚
上神明天祖神社(和みデザインの龍神、白蛇、お狐さま)
丸山寺
東照寺
東光寺(トイレの神様、動物供養塔)
相慈寺不動堂(「首から上の守り神」脳天大神様)
海晏寺(鮫洲の地名由来)
泊船寺
海雲寺(平蔵地蔵)
品川寺(江戸六地蔵一番、東海七福神の毘沙門天、金生七福神)

大井町周辺は古い家が多くごちゃごちゃしていて見応えがあるのだけど、この日は有名神社の上神明天祖神社がなかなかのインパクトだった。蛇神さまで知られるが、その造形物のデザインが秀逸すぎる。一見子供っぽい緩めの造形なのだけれど、畏怖と親しみが入り混じったようで、今どきの漫画的・記号的なかわいいデザインとはまったく違う。素晴らしい作品だった。
この造形物の製作者は真鍋勝という人物らしいのだけれど、検索しても同名の議員しか出てこない。高名なアーティストではなく左官屋さんだったらしい。

また品川寺をようやく訪れ、江戸六地蔵一番をチェックした。これで現存五ヶ所のうち四ヶ所は見学した。毎度ながら胴造坐像の地蔵尊は面白い。地蔵というよりミニ大仏みたいな雰囲気。
海雲寺の平蔵地蔵も逸話が魅力的だった。平蔵は鈴ヶ森刑場の番人で、2人の仲間と交代で乞食をしていたが、大金が入った財布を拾い、正直に持ち主の仙台藩士に届けたところ、仲間の乞食に仲間外れにされ凍死してしまったという。藩士が平蔵を悼んで建てたのが平蔵地蔵とのこと。 この由来書きの石碑が大きな文字で文体も平易、大変読みやすかった。
海晏寺は鮫洲の地名由来として知られるが、現在は至ってシンプルでサメ的要素はない。

荏原町の地名は荏胡麻(エゴマ)の茂る原に由来する。1932(昭和7)年に荏原郡が東京市に編入されてから1947(昭和22)年に品川区と合併するまで、荏原区という区があったという。

珍しく?寺社自体に面白いところが多かったが、例によって写真は寺社にはあまり関係ない。


上神明天祖神社にて。


以上3点、品川区豊町5丁目の家


田中道場接骨所


以上2点、東光寺にて。

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