言問通り、ミヤコドリの由来、在原業平と北野鞠塢

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上野から根津、本駒込付近を経由して千駄木へ。

上野駅から不忍池弁天堂を通って不忍通りを越え横山大観記念館の脇から東大病院裏の通りへ。
境稲荷神社宗賢寺(痔のまじない寺)。
ここから忍小通りを北上していく。忍岡小学校からこの名があるらしい。通り沿いに寺院が並ぶ。
覚性寺大正寺東淵寺正慶寺池之端稲荷(仮)(ミニお社)、妙顕寺七倉稲荷神社忠綱寺休昌院妙極院。ここでおおよそ根津駅のあたり。
忍小通り沿いには廃物件として台東区池之端2丁目の家もあった。
根津一丁目交差点で言問通りを越える。

言問通りは言問橋に由来し、言問橋の名前の由来は、在原業平の「名にしおはば いざ言問はむ 都鳥 わが思う人は ありやなしやと」という歌。
ちなみにここで言う都鳥とはチドリ目ミヤコドリ科ミヤコドリのことではなく、ユリカモメのこと。江戸時代より前の都鳥はミヤコドリではなくユリカモメ、と言われているけれど、一体どうやって調べたのか。と思って調べると、当の業平の歌がある『伊勢物語』の記述から推定したらしい。大体、カモメ類は識別が難しく、ユリカモメだと思っても違うカモメの可能性があるし、昔の人は生活に関係のない動物に驚くほど無関心だったから、何かまた別の鳥を都鳥と混同していた可能性もある。ユリカモメというのはあくまで予想だろう。
そもそも『伊勢物語』における都鳥は、左遷されてきた業平が隅田川にいる見慣れない鳥を見て「あれ何?」と尋ねたところ、渡し守が「都鳥やで」と教えてくれた、というもの。渡し守のオッサンがテキトーなことを言っていたかもしれず、別に都鳥が一般名称だったわけではないだろうし、業平も「京都にはおらん」と言っているのだから京都と都鳥=ユリカモメは別に関係がない。
そう考えると現在のチドリ目ミヤコドリ科ミヤコドリはなぜミヤコドリなのか?と思って調べるとミヤコドリに解説があった。

ではなぜチドリ目のOystercatcherをミヤコドリと名づけたのでしょうか。長い間疑問でした。今年(2003年)2月に出された、松田道夫さんの著書、『大江戸花鳥風月名所めぐり』で疑問が氷解しました。以下は氏の説明の私なりの理解です。
Oystercatcherをミヤコドリとしたのは、江戸時代の北野鞠塢で、上に挙げた出典にある、しろきの「し」は、実は「く」であり、この鳥は、白いのではなく黒いのだとして、強引に伊勢物語の都鳥をチドリ目のOystercatcherの和名にしたというのです。明治維新をへて、鳥類の和名統一が図られたとき(飯島魁博士)、恐らく博士が参考にしたであろう島津重豪の『鳥類便覧』がこの北野鞠塢の牽強付会な説を取り入れたため、学名として、Oystercatcher は、ミヤコドリと「決まってしまった」というのです。

白いものを黒と言う、師匠がカラスが白いと言ったら白い、とか言うけれど、「白き鳥とは黒き鳥なり」とは強引にも程がある。何が北野鞠塢をここまでミヤコドリに執着させたのか、そっちの方が気になってくる。
ちなみにミヤコドリは現在の京都にはいるけれど見られるようになったのは1970年代からとのことで、昔は京都にはいなかったそう。まぁ、江戸時代の都だから東京の鳥でいいのかしらん。

それにしても、業平のこの歌とコンテクストはベタに感傷的というか、ハードボイルドぶっていて、当の本人は真剣だろうけれど一歩離れるとちょっとおかしみもあり、可愛らしい。
ボロっちい渡し船で運ばれていく業平、川の向こうはわけのわからない湿地帯で、緑のオッサンとか三つ目のバケモンとかがいそうなどうしようもない土地。ああ俺もヤキが回ったなぁ、というところで、ふと目についた白い鳥。
業平「オヤジ、あの鳥はなんて言うんだい?」
渡し守「へぇ、ミヤコドリって、わしらは呼んでいやす」
業平「へぇ、ミヤコドリね。じゃあ都のことにも詳しいだろ。教えてくれよ。俺の想ってるあの人は今頃どうしてるんだい」
ユリカモメ「知らん」

とにかく、この業平ゆかりの言問通りを越えて不忍通りを北西に進み根津神社へ。大物。今はつつじが見頃で、大変な人出だった。境内社の駒込稲荷神社(おっちゃんがお弁当)、乙女稲荷神社(千本鳥居がすごい)も。
人が多くてぐったりしてしまったけれど、日本医大の前を西に抜けて本郷通りを北上。この辺りにも寺院が集まっている。
浄心寺(布袋さんがインパクト大)、長元寺大林寺真浄寺海蔵寺(富士塚のような身禄行者の墓)。身禄行者は富士講の指導者で断食して亡くなったとのこと。お寺なのに鳥居の向こうに溶岩で富士塚状に盛られている。
少し寺院を飛ばして都道452号線を駒込学園前から団子坂の方に東進していく。
清林寺(牡丹の花が見事)、光源寺(駒込大観音)、専念寺(路地にいきなり東都六地蔵第二番)、世尊院満足稲荷神社(秘密基地のような神社)。
最後の満足稲荷は四方を民家に囲まれた隠れ家のような立地で面白かった。また専念寺も、普通の路地にいきなり巨大な地蔵尊があって、説明板を読んでからそこが境内だと気付いた。

以下、例によって写真は寺社にはあまり関係ない。


上野公園。


上野公園。


東大病院裏。


東大病院裏。


台東区池之端2丁目の家.


大正寺だったと思う。


根津神社


駒込稲荷神社


駒込稲荷神社


満足稲荷神社


清林寺

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